アルミ缶タブ回収のタブー
好きな作家はいろいろいるが,北村薫はその1人だ。中でも落語家”春桜亭円紫”が出てくる推理小説の「円紫さんと私シリーズ」は面白い。連作の第二作目『夜の蝉』が,日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門を受賞していることからも分かるように,本格派推理小説なのだが,女子大生が主人公の普通の(?)小説でもあって,ミステリファンでない人でもきっと楽しめるだろう。個人的には特に『夜の蝉』と『秋の花』が好きで,何度読んでも何とも言えない,悲しいような嬉しいような透明な感じになる。何回でも読み返せる小説である。最近は,出張の電車の中でも余裕が無くて,仕事の資料に目を通していたり,本を読むにしても仕事に関連のある本だったり,はたまたパソコンを広げてメールをチェックしたり,などというのが多いのだが,本当は出張の時ぐらいは,ゆっくりと好きな小説でも読みたいものだ。
ところで好きな小説を読んでいても,ごみやごみ箱に関する記述があったりすると,気になってしまうのは職業病である。先日『夜の蝉』を読んでいたら,次のような文章に出会った。主人公の女子大生が近所の小さな男の子を連れてお祭りに行った時の一シーンである。
「きらりと光る小さなものが路上にあった。罐ジュースのプルトップだ。
火であぶられたように反っている。切り口はかなり鋭い刃になるかも
知れない。
私はトコちゃんのてをしっかりと握ったまま腰を屈め,それを拾って
ショートパンツのポケットにしまった。」
文庫本の後ろに書かれた解説によれば,主人公の心情を表現した大事な一シーンとの事なのだが,そんな意図があるとは思いもせず,プルトップの事ばかり気になった。
読んで最初に思ったのは「今の人には分からないだろうな」という事だった。最近の飲料缶のプルトップ(引っ張って開ける所)は,「ステイオン・タブ」になっている。普通に缶を開けたら,プルトップは缶にくっついたままである。僕らの子供の頃には,ジュースなどの飲料缶のプルトップは「プルタブ」と言うもので,缶を開けると,プルトップが缶の本体から外れてしまうものだった。アルミ缶リサイクル協会によれば,プルタブがステイオンタブに切り替わったのは1990年からで,『夜の蝉』が出版されたのが1990年の1月らしいから,小説でプルタブが出てくるのも納得できる。
その頃には,実際に道端に捨てられているプルタブを見掛けることも多かった。空き缶をポイ捨てするのは憚られても,プルタブは小さいので気楽に捨てられたのだろう。プルタブからステイオンタブに移行したのも,ポイ捨てによる環境問題への対応が大きかったように記憶している。環境問題のために,製品のデザインを改良した好例の一つだろう。
ところで,散乱しているプルタブを拾い集める活動の一環として「プルタブを集めて車椅子を寄附しよう」という活動があった。これは
1.ポイ捨てを減らすこと,
2.捨てられているごみを集めること,
3.アルミは有用な資源だから捨てるのではなくリサイクルすること,
などの観点から有効な活動だったのだけれども,ステイオンタブになった今,その活動の役目は終わっている。
ところがステイオンタブに移行した今でも,タブだけを集めている団体がある。もちろんアルミなので集めれば資源として売れるから車椅子などの寄附に繋がるかも知れないが,アルミ缶リサイクル協会は「危険だからタブだけを切り取ってリサイクルすることはやめましょう」とはっきりと言っている(こちら。pdfへ直リンク)。リサイクルには缶をそのまま(中身を洗って),リサイクルへ回すようにしよう。
と,ずいぶん話がそれてしまったが,こんなごみの話は忘れて,北村薫の『夜の蝉』,読んでみて下さい。
今年のゼミ旅行の帰り。たしか養老サービスエリアです。
紙ごみ,缶・ビン・ペットボトル・プラごみのごみ箱があります。
飲み残し専用のごみ箱があるのは,いいですね。
ところが,これはいけません。
缶の分別ボックスがあるのだから充分。
分けるのであれば,缶をスチール缶とアルミ缶に分ければ良いのに。