天安門広場のごみ箱
中国の天安門広場で,16年間ごみを拾い続けている人がいるというニュースが,アサヒコムに載っている。
劉玉珍さんという75歳の老婦人で,1994年から毎日欠かさずごみを拾い集め続けて「天安門広場のボランティア美容師」と呼ばれているそうだ。
自分が3日坊主の性格だから余計に思うのだが,1つのことを続けるというのは本当に難しい。「大きな事・大変な事でも1日だけなら誰でも出来る。小さな事・つまらない事でもそれをずっと続けることは難しい。」と,中学校時代の校長先生に言われたことを思い出したが,”嵐の日も雨の日も砂嵐の日も”ボランティアでごみを拾い続けるというのは本当にすごいことだ。
今年の夏休みに北京に観光旅行に行ってきた。1999年にやはり観光旅行で北京に行って,天安門広場で分別ごみ箱を写真に収めたのが「世界のごみ箱」をはじめるきっかけになった,と言う話は,以前もこのブログに書いた。
それで今回,12年ぶりに北京に遊びに行くことになった時から,天安門広場のごみ箱がどうなっているかということを非常に楽しみにしていた。
で,今年撮ってきた天安門広場のごみ箱がこれ。
こんな感じのごみ箱が幅を利かせていました。
近代化したようにも思えますが,面白くなくなった様な気もします。
やはり12年の年月は長かった……。
左端は,汚れた紙,果物の皮,食品の包装材。
ちょっとよく分からない分別基準ですね。
きれいな紙は別に分けられていました。
真ん中は,飲み物の紙パックと,飲料缶と飲料ビン。
絵はペットボトルのようにも見えますが,ガラスびんを想定しているようでした。
ペットボトルは,さらに分けられてました。
左下には,煙草の灰皿も見えます。
右端のごみ箱は新聞と雑誌。
こんなバケツだけのごみ箱もありました。
ペットボトルだけは,このように分けて集められていました。
分ければきっと良い値段で引き取ってもらえるのでしょう。
昔の分別ごみ箱は見られず,新しいごみ箱に変わっていた。他所では見たことのないごみ箱ではあったものの,デザイン的にはそれほど驚くようなものでもなく,ちょっと残念な気がした。ごみを分別すると言うことが当たり前になったのも1つの要因だろうが,それが12年の月日とも言えそうだ。
ところで冒頭のおばあさん,16年間,毎日ごみを集めているのなら,今回も12年前も,天安門広場でごみを拾っていたはずだ。そうと知っていれば,ぜひとも探し出して,一緒に写真を撮らせてもらったのだが……。
それを思うと甚だ残念である。
和歌山市駅のポスター
一週間が過ぎるのが早い。特に出張が入った週は,その準備や後始末などがあるので,特に早く過ぎてしまう気がする。
先日は副産物の有効利用に関する研究の打ち合わせで,和歌山市へ行った。今の職場は大阪市の南のはずれで日頃から阪和線で通勤しているぐらいだから,和歌山のことは身近に感じてもいるのだが,いざ行くとなると結構遠く,やはり1日仕事になってしまった。
待ち合わせ場所の和歌山市駅のホームでごみのポスターを見つけた。手作り感の溢れる,普通のごみのポスターの様に見えたのだが,写真を撮りながらよく見ると作者のこだわりが……。
列車の路線図の下にあったポイ捨て禁止のポスター。
手作り感のあるポスターですね。
新聞紙を丸めたごみでしょうか?
何か書いてあるようですが……。
”ポイ捨ては「ゴミの不法投棄」であり,犯罪”
”交通の障害を来した場合は道路交通法違反”
”(廃棄物処理法違反)”
などの言葉が並んでいます。
相当のこだわりを持って,楽しみながら作った様子が伝わります。
どんな方が作ったのか,お会いしたいものです。
アルミ缶タブ回収のタブー
好きな作家はいろいろいるが,北村薫はその1人だ。中でも落語家”春桜亭円紫”が出てくる推理小説の「円紫さんと私シリーズ」は面白い。連作の第二作目『夜の蝉』が,日本推理作家協会賞短編および連作短編集部門を受賞していることからも分かるように,本格派推理小説なのだが,女子大生が主人公の普通の(?)小説でもあって,ミステリファンでない人でもきっと楽しめるだろう。個人的には特に『夜の蝉』と『秋の花』が好きで,何度読んでも何とも言えない,悲しいような嬉しいような透明な感じになる。何回でも読み返せる小説である。最近は,出張の電車の中でも余裕が無くて,仕事の資料に目を通していたり,本を読むにしても仕事に関連のある本だったり,はたまたパソコンを広げてメールをチェックしたり,などというのが多いのだが,本当は出張の時ぐらいは,ゆっくりと好きな小説でも読みたいものだ。
ところで好きな小説を読んでいても,ごみやごみ箱に関する記述があったりすると,気になってしまうのは職業病である。先日『夜の蝉』を読んでいたら,次のような文章に出会った。主人公の女子大生が近所の小さな男の子を連れてお祭りに行った時の一シーンである。
「きらりと光る小さなものが路上にあった。罐ジュースのプルトップだ。
火であぶられたように反っている。切り口はかなり鋭い刃になるかも
知れない。
私はトコちゃんのてをしっかりと握ったまま腰を屈め,それを拾って
ショートパンツのポケットにしまった。」
文庫本の後ろに書かれた解説によれば,主人公の心情を表現した大事な一シーンとの事なのだが,そんな意図があるとは思いもせず,プルトップの事ばかり気になった。
読んで最初に思ったのは「今の人には分からないだろうな」という事だった。最近の飲料缶のプルトップ(引っ張って開ける所)は,「ステイオン・タブ」になっている。普通に缶を開けたら,プルトップは缶にくっついたままである。僕らの子供の頃には,ジュースなどの飲料缶のプルトップは「プルタブ」と言うもので,缶を開けると,プルトップが缶の本体から外れてしまうものだった。アルミ缶リサイクル協会によれば,プルタブがステイオンタブに切り替わったのは1990年からで,『夜の蝉』が出版されたのが1990年の1月らしいから,小説でプルタブが出てくるのも納得できる。
その頃には,実際に道端に捨てられているプルタブを見掛けることも多かった。空き缶をポイ捨てするのは憚られても,プルタブは小さいので気楽に捨てられたのだろう。プルタブからステイオンタブに移行したのも,ポイ捨てによる環境問題への対応が大きかったように記憶している。環境問題のために,製品のデザインを改良した好例の一つだろう。
ところで,散乱しているプルタブを拾い集める活動の一環として「プルタブを集めて車椅子を寄附しよう」という活動があった。これは
1.ポイ捨てを減らすこと,
2.捨てられているごみを集めること,
3.アルミは有用な資源だから捨てるのではなくリサイクルすること,
などの観点から有効な活動だったのだけれども,ステイオンタブになった今,その活動の役目は終わっている。
ところがステイオンタブに移行した今でも,タブだけを集めている団体がある。もちろんアルミなので集めれば資源として売れるから車椅子などの寄附に繋がるかも知れないが,アルミ缶リサイクル協会は「危険だからタブだけを切り取ってリサイクルすることはやめましょう」とはっきりと言っている(こちら。pdfへ直リンク)。リサイクルには缶をそのまま(中身を洗って),リサイクルへ回すようにしよう。
と,ずいぶん話がそれてしまったが,こんなごみの話は忘れて,北村薫の『夜の蝉』,読んでみて下さい。
今年のゼミ旅行の帰り。たしか養老サービスエリアです。
紙ごみ,缶・ビン・ペットボトル・プラごみのごみ箱があります。
飲み残し専用のごみ箱があるのは,いいですね。
ところが,これはいけません。
缶の分別ボックスがあるのだから充分。
分けるのであれば,缶をスチール缶とアルミ缶に分ければ良いのに。