嘘ではないが本当でもない図
4月になると新入生が入ってくる。最近は,大学に入ってすぐの学生に,レポートの書き方やプレゼンテーションの方法,コンピュータソフトの使い方のようなアカデミックスキルを身につけさせるような授業がある。
私もしばしばグラフの書き方やレポートの書き方を説明することがある。最近はマイクロソフトのエクセルやパワーポイントを使うと,見た目がきれいなグラフをあっという間に作ることが出来る。しかし,エクセルなどのデフォルト(初期設定)は,理系の論文・レポートには全く使えないように設定されているものもしばしばあって,きちんと説明しておかないといけない。
また,それ以上にどんな図を作るのか,何を伝えようとして図を書くのかを意識しておかないと,他人には言いたいことが伝わらない「独りよがりの図」になってしまう。
そういう授業の時に学生に見せるグラフが何枚かある。まずは「日本人の一般廃棄物の排出量」のグラフ。
ごみの排出量は,ここ10年ぐらい,ほとんど横這いです,というデータ。実際,毎年5200万トン程度で,変わっていない。また学生に教えるときは,およそ1年間に5000万トンと言っている。1人1日当たりの排出量の方は大体1100gで横這いで,こちらは大体1kgと考えておけば,オーダーとしては間違いない。
ところがこの同じデータも,縦軸にちょいちょいと加工をすると……
ずいぶん,変化があるように見える。縦軸の範囲を5200~5500と絞っているので,差が拡大されているというトリック。まあ嘘ではないのだが……。
もう一つ見せるのが,ペットボトルの回収率に関するデータ。
H9年の容器包装リサイクル法の制定をきっかけに,ペットボトルの回収率がぐんぐん上がっているというグラフ。ペットボトルのリサイクルを話題にするときによく見掛けるもの。回収率が延びているのは紛れもない事実だし,結構なことなんですが,気になるのは,生産量と回収量の差の廃棄量。それを示したのが,次のグラフ。
容器包装リサイクル法が出来てからも,ごみとして捨てられたペットボトルの量は延びていて,その後も,横這いの状態が続いていたことが分かる。生産量が回収量の延び以上に増えたのである。
ところで,これらの図は,データが総て示されているから,自分でグラフを加工して作り直すことが出来る。ところがデータを示さずに都合の良いデータだけで図を書かれると,判断が付かなくて困る。そんな例がこちら。
原発から20km圏内が「警戒地域」に設定されたことを受けて,その後に公表された図。確かに,20km圏内の放射線量は高いように見えるので,警戒地域の設定は妥当なようにも見えるのだが,実は文部科学省から公表されているデータを丁寧に見てみると,プロットされていないデータが多いことが分かる。これを追加するとこんな図になる。
20km圏内でも汚染レベルの高いところと低いところが混在していて,警戒区域にする必要のないようなレベルの所も多いのに,そのデータはプロットされていない。意図的に削って図を作ったとしか思えない。
一方,20km圏外でもずいぶんと高い場所(左上の赤丸)も報告されているのに,そのデータも示されていない。あくまでも20km圏内の図です,と言うかもしれないが,住民の健康のことを考えると,これまたかなり作為的だし,危険性はこちらの方が高いのだから,その罪は相当重い。
最後の図は,川内村に住んでいるたくきよしみつさんが作成されたもの。背景などを含めたもっと詳しい情報は,彼のブログをご覧下さい。原発被害者の思いがよく分かります。
「警戒区域」のちぐはぐさ
福島原発から20km圏内が一律に「警戒区域」に指定された。”一律に”と言っても,どこを中心として線を引いているのかが分からないから,一律なのかどうかもよく分からない。何ともいい加減な線引きである。
しかしその線引きの為に,自宅に住みたくても強制的に,しかも突然,家を追い出されることになって,戸惑っている人たちがいるらしい。
毎日新聞 「福島第1原発:突然「出ろ」と言われても 20キロ圏封鎖」。
一方,「警戒区域」の指定と時を前後して,20km圏内でも汚染の度合いはかなり違い,圏内でも汚染度の非常に低い土地があると言うことも公表されている。
朝日新聞「20キロ圏、汚染に濃淡 文科省、128地点の線量公表」。
原発の「想定外の」事故が起こった直後の混乱状態ならいざ知らず,事故から1ヶ月以上も経った今頃になってこんなちぐはぐな政策が出てくるというのは,一体どういうことなのだろう。
与えられた正しい情報を元に自己の責任で住み続ける選択をしている人たちを無理矢理に移住させるのは何の為なのか。追い立てられる人はたまらないだろう。
たまらないと言えば,がれきの処理を引き受けると行った川崎市に対して,市民から苦情が殺到しているというニュースも嫌な気分になった。
産経ニュース「福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2000件超」。
受け入れるのは,放射性廃棄物ではない普通の廃棄物である,と市役所が力説していると言うことだが,そういう問題でもないだろう。
もちろん,放射性廃棄物も運搬して首都圏で処理するべきだ,などと言うつもりは毛頭ないが,日頃,原発のリスクを地方に押しつけて電気を利用しておきながら,何かあってもリスクは一切受け付けないというのは,あまりに無責任で心ない発言ではないだろうか。
"The Philadelphia Inquirer"というフィラデルフィアの新聞にあった漫画
(2011年3月27日,Tony Auth作)。
"Fallback position"とは,「代替案」とか「頼みの綱」といった意味のようです。
著作権上,まずいでしょうか……。
「十二人の怒れる男」とボルチモア
シドニー・ルメット監督が亡くなった。「十二人の怒れる男」は大好きで,最初に映画を(テレビでだが)見たのは確か中学の時。その後,お芝居を見た記憶があるが,いつのことだか,はっきり思い出せない。いろいろ考えてみると,高校の文化祭だったような気もする。
11人の陪審員が有罪と確信している殺人犯について,ヘンリーフォンダが扮する陪審員が粘り強く証拠を一つずつ検証していくことで,他の陪審員の考えが変わっていく……というストーリーで,サスペンスタッチな上に,自分が正義の代弁者になったような爽快な気分になった。とは言え「素人が有罪か無罪かを判断するなんて,アメリカというのは何と恐ろしい国だ」と子供心にも思ったものだったが,日本でも今や裁判員制度が導入されている。
ところで,実はほんの2週間ほど前に「十二人の怒れる男」が知人との間で話題になった。3月の終わりから4月に掛けて,国際会議でフィラデルフィアへ行ったのだが,会議が終わってから1日だけ足を延ばして,ボルチモアにいる知り合いの研究者を訪ねた(フィラデルフィア~ボルチモアは列車で1時間ちょっと)。彼は大学時代の3つ上の先輩で,今は,ボルチモアの大学で教鞭を執っている。研究に関する情報交換と,たまたま彼の授業のある日だったので,その授業の中で,1時間ほど日本の廃棄物問題についてプレゼンをさせてもらった。
で,「十二人の怒れる男」との関係だが,映画の中で陪審員の1人が,「ボルチモア・オリオールズ」のファンである別の陪審員を小馬鹿にするような台詞があって(記憶違いでなければ),それ以来「ボルチモア」という地名は僕の中で妙に記憶に残っていたのである。ボルチモアの駅に彼に迎えに来てもらったとき,「ボルチモアにはそんな記憶があるんです。でもどこにあるのか,全く知らなかったんですけど。」といった会話があったばかりだったので,帰国して1週間で聞いたシドニー・ルメット監督の訃報はなんとも微妙なタイミングで,ちょっとした驚きだった。ということで,ごみやごみ箱とは関係がないが,このブログになりました。
ボルチモア駅のホーム。
ワシントンD.C.へ通勤している人たちもいるそうです。
右奥のごみ箱はこんな感じ。
私の肩ぐらいまである巨大なごみ箱でした。