主張するごみ箱
私はごみ箱が好きなので、ごみ箱を見つけると喜んで写真を撮ってしまうが、もちろんごみ箱を好ましくないと思う人もいるだろう。最近は毎年、年賀状にもごみ箱の写真を載せているが、職場のある先生には「年賀状(のような、おめでたい挨拶状)にごみ箱なんて……。」と眉を顰められた。残念ながら、ごみには汚いものが多いので、それが入っているごみ箱も汚いことも多い。
とは言え、最近は、おしゃれなごみ箱やきれいなごみ箱もいろいろ出てきている。一見するとごみ箱かどうか分からなかったり、ごみ箱だと思って写真を撮っていたら、実はごみ箱ではなかった、というような経験をすることもある。ごみ箱を入れた良い写真が撮れた、と思っていたら、ごみ箱でないことが分かり、がっかり、というパターンである。
もちろん、ごみ箱も、汚いよりはきれいな方が良いに決まっているのだが、ごみ箱だと言うことが分からなくては、それはそれでごみ箱としては失格である(きっと)。つまり、不快感を与えないような佇まいでありながら、それでいてごみ箱であることを、さりげなくアピールする、という難しい役回りが、ごみ箱には与えられているようである(なんのこっちゃ)。
さて、少し前にとあるビルのエレベータの前で、壺のような物を見つけた。遠くから見たところ、オブジェかと思ったが、近づいてみてみると……。
ごみ箱でした(笑)。
ここまで堂々と自己主張しているごみ箱はあまり記憶にありません。
中はこんな感じでした。
空き缶が入っているのはちょっと頂けませんが、
ごみ箱の勢いに引き込まれてしまったのでしょう。